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知識と解像度のはなし

「知は力なり」と哲学者のフランシス・ベーコンは言った。これは16世紀頃に生きた人間の言葉だが、自分はこの言葉を気に入っている。

 

ただ現在の世の中では、知ったところでどうなるんだと感じる人が多いと思う。

インターネットによって知りたい時に物事を調べられるようになった影響が大きいのだろう。

 

 

知識は人生を楽しむために、あればあるだけいいと自分は思う。

特に自分は知っていても意味が無いと言われるような、いわゆるうんちくや雑学と呼ばれるものが好きだ。

 

例えば花について考えてみる。

花が咲いていてもその名前を知らなかったらそこ止まりだが、もしその花がサルスベリだと分かったら夏の到来を感じるかもしれない。

もしその花がナズナで、春の七草について知っていたら七草がゆを食べたくなるかもしれない。

 

知識をたくさんつけると、日常のささいなことを色々な視点から楽しむことができるのである。

 

他にも、オリンピックのロゴの意味、寺社の背後にある歴史、今食べている料理が生まれた国、などなど、知っていなくても問題はないが、知っていると少し面白いことが世の中には山ほどある。

 

自分はこれを知っていくと、世の中の解像度が上がる、と感じている。

 

 

現代は、知ろうと思ったその瞬間にあらゆるものを知ることができるようになってしまったが、

ふと空を見たときに知っている星座があった時、

曲の歌詞に出てきた花の花言葉をたまたま知っていた時、

この時に感じる、言い表しにくい充実感のようなものは貴重なものだと思う。

 

知は、人生を楽しむ力になると自分は確信している。