雑記帳メモリ

旅、趣味、制作、寺社仏閣

MENU

占いに救われる人間

友達にはよく「占いなんて当たるわけがない」と言われる。何回も言われているが自分は占いが好きだし、何回もこれに救われている節がある。

 

占いは好きだがタロットでの占いはあまり好きではない。その場その場でカードをとって占うので、結果がそのタイミングによって変わるからだ。

占い自体あいまいなものではあるが、その結果の揺らぎを「運命」とか「その時点での運勢」ととらえるのはあまり好みではない。

 

 

逆に自分は占星術が好きだ。星座や天体ごとにしっかりとした解釈があるところが特に好きで、自分やほかの人のホロスコープを何度も見たことがある。何より誕生日一つにつき、占いの結果が確定するのが好みだ。

四柱推命も好きだ。これも同じく誕生日によって結果が決まる。陰陽や五行の偏りなんかの要素もいろいろな解釈ができて面白いと感じる。

 

 

でも、結局占いなんて根拠のないものだ。

これはちゃんと理解している。むしろ自分は、この「根拠がない」という点が占いで一番重要な要素ではないかと感じたりする。

 

結構な偏見だが、占いにはまる人間というのは自分のように自信がない人だと思う。うまくいかない日々のこれからを憂いて自分を占い、恋をしたらその結末に不安になって相性を占う。

 

自分も自信を持てればいいなとたまに思ったりするが、なかなかできるものではない。

 

 

そんな自信の穴を埋めてくれるものが占いなのではないか?と自分は考える。

 

自信とは文字通り自分を信じれる要素だが、成功体験などがないとそういう自信は持ちにくい。根拠のない自信なんてものもあるがそんなものどこから湧いてくるんだとさえ思う。

これを埋めてくれるのがきっと占いなのだろう。「今日の自分の運勢はいいから大丈夫」「あの人と自分は相性がいいから大丈夫」というふうに、占いの結果は根拠がないゆえ疑いを持たずに受け入れられると考えている。

 

 

占いを信じていたり好きでいる人は、どこかのタイミングで占いを自信にして救われてきた人なのだろう。

などと思いながら、自分はまた占いで不安を抑え込む。